傘とひとり相撲

駅を出て階段を下りていたら、踊り場で前を行くオジサンが一寸歩みをゆるめた。どうやら、傘を開くためだったらしい。しかし、そのわずかな乱れは後ろを歩く私へ、さらにその後ろについていた誰かさんへ確実に伝わった。後ろの人は、私がその乱れの発生源だと思っているかもしれない、そう恐れた私は、腹の中で前のオジサンに文句をぶつけた。こんなとこで立ち止まってんじゃねーよ、と。だが、すぐに過ちに気付いた。思えば、今日の私は傘を持っていなかったから立ち止まらなかったのであり、傘を持っているときならば、傘を開くとき立ち止まるのは当然であり、これは誰しもがすることなのだ。今日、たまたま私が傘を忘れたのが悪かった、そう、


私が悪い。


一旦、こう考えてはみたものの、どうにもすっきりしない。どう考えても、私は何も悪いことはしていない。傘を持っていないことは悪いことではない。そうだ、やはり


私は悪くない。


しかし、こうなってくると別の問題にぶち当たる。この場面で私が悪くないとすると、相対的に、やはりオジサンが悪い、ということを暗に言おうとしているように聞こえてしまう恐れがあり、これは私の真意とは異なる。ここは、はっきりと断わっておかなくては、居心地が悪いというものだ。


オジサンは悪くない。


これで、すっきりした。
よくよく考えればわかることだが、真実は「誰も悪くない」のであり、あえて言うならば、腹の中でオジサンを非難した私が悪い。


なるほど、これがいわゆる、ひとり相撲って奴ですね。