石橋を叩いて渡る私

私は、石橋を叩いて渡る方だが
何らかの原因で、石橋を叩くことが出来ないとき、その場で立ち往生してしまう。
とりあえず渡ってみようとは思わない。
私の発想は、とりあえず叩いてみようしかない。
でも叩けない。
響かない。
動けない。
渡ることは簡単だと頭でいくら理解しても、叩けないことには、一歩が出ない。
もはや渡ることよりも、一歩を踏み出すことの方がはるかに難しく感じる。
難しい。嫌悪感。逃げ出したい。




何気なく書いてみた文章だけど、自分の欠点を見事に言い表している気がする。


私は自分の行動にいつも言い訳、あるいは言い分を付加させようとする。
心の中で「自分は間違っていない」と常に言い訳し続けている。
誰かが私の行動をとがめたとき、それに返せる言葉を常に用意している。
その言い分が用意できないとき、それは石橋が叩けないときに対応する。
言い分なしには行動することができない。
言い分なしの行動は、生身の行動だ。行動そのもの。
生身の自分をさらけ出すような感覚。


言い分は論理的でなくてもかまわない。「俺がそうしたいと思ったから」でもいい。
と気付いたのは最近のこと。
でも、それじゃ甘かった。
叩かなければ渡れないという構造そのものを見直さなくては。