二度考える

考えを文章にするときは、頭の中の考えを文章に変換している。


昨夜、眠り際に気付いたのだけれど、考え事を「日本語」でしているとき
「二度見」のような現象がおきていた。
頭の中に●という考えのかたまりが浮かび、それを「日本語」に落とし込んでいる。
冗長だ。と思った。二回目の日本語の文章は「噛みしめている」という感じだ。
●というアイディアとその直後、少し遅れて始まる「〜は〜だよなあ」という脳内文章は内容的には一致している。
そこで、あえて「追唱」をしないで考えてみた。
●というアイディアが浮かんだ瞬間に意識的に脳内で口をつぐむようにつとめてみた。
すると、やはりそのアイディアのかたまりは確かにアイディアのかたまりだと感じられた。
日本語に変換することなく「理解」している感覚があった。
そのアイディアを脳内文章で上塗りすることなく、感じ入ると
それはホタルの光のように、ぼわっ、と脳内に現れていた。


考えてみると、文章を書くときは別にして
普段から「日本語で」考えているわけではないのかも知れない。
たぶん、ほとんど●で考えているのだと思う。
しかし、それを意識したことはなかった。
今、ちょっと実験してみた。
ふいに、傍らの時計に目をやった。
すると、時計を見た瞬間、いくつかの●が頭の中に浮かんだ気がした。
複数の考えがほぼ同時にひらめいた。
ひらめいた。


ひらめく時、というのは
●だ。
すごい事をひらめいた時の興奮ってあるじゃないですか。
誰かに話したくてたまらないような。
「あっ!思いついたっ!」っていう。
で、実際人に話そうとするとうまくまとめられなくて伝わらなかったり(笑)